『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

ラフォルムのオリジナルガラスの指輪(リング)が登場予定!!!
2006年10月25日
→ 2008年2月16日
東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』 やりました!! 第31回日本アカデミー賞で、「作品賞」・「監督賞」・「主演女優賞」・「助演男優賞」・「脚本賞」五冠達成 しました!本当におめでとうございました(*^_^*) La formeもこのすばらしい映画作りの一員として参加できたことに本当に感謝しています。

● 2007年4月14日(全国松竹系劇場250~300館にてロードショー)公開予定の映画、
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』 に、La formeが制作したガラスの指輪が登場 です!!!



映画 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
■原作 リリー・フランキー著 ・ 扶桑社刊
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(単行本)
「2006年本屋大賞」受賞!!

出版社 / 著者からの内容紹介
読みやすさ、ユーモア、強烈な感動! 同時代の我らが天才リリー・フランキーが骨身に沁みるように綴る、母と子、父と子、友情。この普遍的な、そして、いま語りづらいことがまっすぐリアルに胸に届く、新たなる「国民的名作」。『en-taxi』連載、著者初の長編小説がついに単行本化。
【関連リンク】
映画 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』 公式サイト
リリー・フランキー 公式サイト
東京タワー通信
Amazon.co.jp

                    
東京タワーに登場予定のリング
 この度、映画 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の監督である松岡錠司さんから、「昭和30年代末にオトンがオカンにプレゼントした、レトロな感じで愛の水中花というようなイメージ」でガラスのリングを制作してほしいというお話をお聞きしました。いただいたイメージを大切に数種類制作した作品の一つが映画に採用される予定になりました。

 写真は、映画 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』に登場予定のガラスの指輪です。登場予定のガラスの指輪は、オトン(小林薫さん)がオカン(樹木希林さん)に昔(昭和30年代末に)プレゼントしたものという設定です。

女優松たか子さんや内田也哉子さん(樹木希林さんの娘さん)に注目してご覧くださいね♪

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店長よりコメント ・・・ 今回この 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』 の映画化に伴うアクセサリー制作のお話をいただいた時、リリー・フランキーさんの著書をはじめて知りました。 私の母が病気で亡くなって間もないということ、境遇が良く似ていることなど共感できる部分がたくさんあり泣きながら拝読いたしました。私が母とかわした最後の母の言葉が、「たけよし・・か」ということばでした。 親が子を思う最後の言葉でした。 苦労ばかりかけてしまって、これからそのお返しをと思っていた矢先の最愛の母との永遠の別れでした。 きっと母は、今回のお話を「がんばりなよ」と応援してくれていると思います。どんな形でラフォルムの作品が映画に登場するのか、今からとても楽しみです。

 この度、松岡監督にラフォルムのガラスの指輪を気に入っていただき、そして採用していただいたことに大変感謝しております。また、(有)京映アーツの忠内さま初めスタッフの皆々さま、大変お世話になり本当にありがとうございました。 映画の成功を心よりお祈りしています。
田中 武芳
2006年10月吉日

[2007/04/01]
 何処かで見ていてくれますか・・。もしかしたら、このHP母さんも見ていてくれるかもしれませんね。
 もうすぐ三回忌・・。母さんがいなくなって三年。私達は皆でなんとか力を合わせてやっています。だから、心配しないで下さいね。

 少し、近況報告です。実は、2007年4月14日全国公開予定の映画、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』 に、La formeが制作したガラスの指輪が登場する予定なんです。不思議なご縁をいただいてお作りした作品です。今、その本を読んでいます。母さんは仕事の事や、家の事、皆の事を東京タワーのオカンのようにとてもとても気遣ってくれたねぇ・・・、母さんとオカンがだぶってしまってついつい思い出して涙が出てしょうがなかった。母さんのことを思い出す時・・、優しく温かいシーンばっかり思い出します。あの時にはこんな言葉で、こんなふうに気遣ってくれたり励ましてくれたり・・、私達のために懸命に生きた母さんの姿を昨日の事のように思い出します。ただただ、純粋に私達に愛を与え続けた母さんの姿を思い出します。本当に本当にありがとね。安らかに安らかにお休みください。

                    

●ストーリー(あらすじ)

 昭和38年、北九州の小倉でボクは生まれた。ボクは三歳のある夜の出来事を鮮明に覚えている。ガシャーンとガラス戸を蹴破る爆音とともに帰宅したオトン。泥酔しているオトンはボクの口に無理やり焼き鳥の串を差し込んだ。ボクの唇には串がぶらさがる。箸を振りかぶるオカン、その場に倒れるオトン。これが、ボクとオカンとオトン、三人で暮らしていた時の最後の記憶。

 オカンとボクは、オカンの故郷である筑豊に住むことになる。筑豊は小倉に比べると田舎で、さびれつつある炭鉱の町だ。オカンの母親、筑豊のばあちゃんはじいちゃんが亡くなってからリヤカーで魚の行商をして生計を立てていた。ボクはばあちゃんがリヤカーを引いているのを見つけると、いつも後ろから押して手伝った。ボクだけでなく近所の人も、坂道でばあちゃんを見掛けると、みんな手伝った。そんな人情豊かな筑豊にボクは馴染み、明るく活発な子に成長していった。

 筑豊に暮らしながら、長い休みになるとオトンと小倉のばあちゃんの家で過ごした。ボクが来ているときでも、あまり家にいないオトン。まるで父親らしいことをしてくれたことが無かったが、ある日ボクが船の絵を描いていると、木材で船の模型を作ってくれた。しかしもう少しで完成というところで、オトンは「こんなもんやろ」と作業を止め、飲みに出かけてしまった。なぜ完成させてくれなかったのかわからないけれど、ボクはその船をずっと大事にした。

 ボクは中学生になった。オカンはいつまでも実家に住んでいることを遠慮したのか、筑豊のばあちゃんの家の近所に部屋を借りて、ボクとオカンの二人で暮らすことになった。病院を改造した奇妙なアパートではあったが、そこでのオカンとの暮らしは始めて自分の家ができたような気がしてボクは嬉しかった。ボクは野球部に所属し、長い休みになっても小倉に行くことは無くなる。筑豊のばあちゃんの家には学校帰りにたまに寄ったが、古くなったご飯を一人で食べるばあちゃんの姿を見ると切なくなった。オカンは思春期に差し掛かったボクを一人にさせるまいと外に仕事に行くのを控えて内職を始めた。そのお金でボクにレコードやギターを買ってくれるオカン。オカンを自由にしてあげたいという気持ちと、ここではないどこかに行きたいという気持ちが同時にボクを刺激した。ボクは家を出て大分の高校へ進学することを決めた。

 オカンの元を離れ、すっかり堕落してしまったボクは、授業もサボりがちで進級すら危ぶまれたが、平栗という男らしからぬ世話焼きの友達のおかげで何とか卒業できることになった。ボクは進路についてオトンに相談する。オトンは言う「東京へ行け。いろんな人間がおるぞ。いろんなものを見てきたらええ」

 ボクは東京の美術大学に合格した。ボクは80年代の東京で、さらに自堕落に日々を送る。オカンの仕送りで生活し、飲んだくれた。当然のように留年が決定したボクはオカンにその事実を伝える。「なんでがんばれんかったんかねぇ」と落胆したオカンだったが、「自分の店を持つことにしたんよ、オカンもがんばるから、アンタも卒業まで一年間学校に行きなさい。できるかね?」とボクを励ましてくれた。そうしてボクはさらに一年オカンに寄生し、なんとか卒業できることになった。

 卒業を間近に控えても、ボクは就職する気がなかった。オトンに相談すると、こんな答えが返って来た。「どんなことも最低五年はかかるもんや、なんもせんのやったら五年はなんもせんようにしてみい。途中でからやっぱりあの時就職すればよかったと思うんやったらオマエにはプータローの才能すらないっちゅうことやからな」

 ボクは偶然再会した高校時代の同級生、栗原とともにオンボロアパートに住み、さらに自堕落を絵に描いたような暮らしを送る。筑豊のおばあちゃんの具合が悪いので帰ってくるようにと、オカンは新幹線代を送ってくれたのだが、そのお金すら遣い込んでしまい、ボクはばあちゃんの死に目に会えなかった。

 そんな東京での極貧生活に疲れ果てた平栗は、アパートを出て行く。平栗と入れ替わるようにして、ボクがバイトをしていた似顔絵教室の生徒えのもとがボクのアパートに転がりこみ、借金まみれの貧乏アパート暮らしは続く。

 そんなある日、自分の知らない間にオカンが甲状腺のガンの手術を受けていたことを知る。手術は成功したとのことだが、ボクは激しく動揺する。そしてボクはえのもとに宣言する「仕事するぞ」

 積荷のバイト、イラスト、コラム、来た仕事は何でもやった。ミズエという新しい彼女もできた。借金も返済できた。少しずつ、全てが良くなっている気がした。ボクはミズエにオカンのことを色々話した。ミズエは「マーくんのお母さんだったら会ってみたい」と言う。ボクはミズエとオカンが見守る中、オカンに電話をかけ、東京で一緒に住まないかと提案する。だがボクには気がかりなことがあった。オトンのことだ。それをオカンに話すと、「オトンは他の女の人とすんどるんよ。ずっとすんどるんやからね!」と告げる。ボクは言う。「それやったら、死ぬまで東京におったらええ!」ミズエはそんなボクを見て微笑む。

 ぬかどこと共に、オカンは東京にやってきた。ボクの部屋に広がる懐かしい匂い。ミズエ、えのもと、磯山、タマエ夫婦。ボクの家には、オカンの手料理を求めて毎日沢山の友達がやってくる。二人暮しなのに、オカンは毎日五合の米を炊いた。ボクはオカンとミズエを連れて色々なところにドライブに出かけた。車の窓から見えるライトアップされた東京タワー。ボクは東京に来て何年も経つが、一度も東京タワーの展望台に上がったことがない。ボクは約束する。「もうしまっとるけん、また連れてきたるよ」「ミズエさんも一緒に、三人で来よ」とオカンは嬉しそうだ。楽しい時間は足早に過ぎていく。

 ボクはオカンがいる風景に馴れて、麻痺していた。飲んでは朝帰りを繰り返し、オカンとは事務的な話しかしなくなった。そんなある日、オカンが体の不調を訴えた。ガンの転移を心配するオカンに、「心配しなさんな、そんなに何回もガンにかかりゃせん」と言うボク。近所の病院で検診を受けたところ、医者の口から出たのはこんな言葉だった。「もう、だいぶ大きくなってるねぇ」オカンの胃は癌に侵されていた。オカンの最後の入院生活が始まる。ボクは生まれて初めてオカンの手を引いて病院へと連れて行った。

 オカンの検査結果が出る日。ボクはミズエと病院にいた。その頃はもうボクとミズエは別れていたのだが、オカンにその事は伝えていなかった。ミズエは、ボクとオカンの側にいてくれた。検査の結果、手術は無理だと告げられた。

 残された道は苦痛を伴う抗がん剤治療しかない。ボクはベットに横たわるオカンに訊く。
「抗がん剤の治療する?」 オカンは答える。「抗がん剤の治療する」

 抗がん剤の治療開始の前日、小倉からオトンがやってきた。オカンはオトンに会えて嬉しそうだった。ボクはコンビニで買い物をする二人を偶然見かける。それはボクが初めて目にする夫婦そのものの姿だった。

 治療が始まると、オカンの顔は苦痛で歪んだ。見舞いに来た平栗や磯山、タマエ夫婦、ミズエ、そしてボクは、そんなオカンに励ましのことばをかけるのが精一杯だった。オカンは呟く「もう、やめたい」ボクはオカンを抱きしめて言った。「もう、やめよっか」

 窓の外には桜が咲く四月。なのに空からは雪が降ってきた。たくさんの管がつながれたオカンの体を見ているボクの目には、自然と涙が溢れてくる。オカンの容態は急変した。もはや痛み止めのモルヒネも効かない。ボクはオカンの手を握りしめる。オトンが叫ぶ「栄子、オレやわかるか!死ぬな!」オカンが何か言おうとしている。「ごめん、何を言おうとしとるかわからんのよ、でもオレらのことが心配なんやろ、こんな時まで心配せんでエエからな」と、オカンに微笑みかけるボク。オトンもオカンの顔の側でじっと見守る。オカンの頬を伝う一筋の涙。そしてオカンは穏やかに動かなくなった。

 オカンと一緒に住むはずだった新しい家には、オカンを偲んでボクの友達が集まった。平栗が叫ぶ「寂しいー、寂しいー、寂しいー」 ボクには仕事の催促が来ていた。「今日は書かんでエエやろ」 と言うボクの目の前に現れる、若き日のオカンの幻。「仕事の人に、迷惑かけたらイカンやろ、書きなさい。マー君が仕事しよると気分がようなるんよ」 ボクは書いた。 必死になって書いた。オカンの声が聞こえる「それでよか」

 葬儀の後、自分が死んだら開けるようにとオカンが言い残した箱を手にするボク。そのなかのメモに書かれた言葉。

     オカンは幸せな幕引きが出来て何も思い残すことはありません
     さよなら、マー君

メモの上に、ボクの涙の粒が落ちる。

 数年後、快晴の空の下そびえ立つ東京タワーの展望台に、ボクとミズエがいる。鞄から位牌を取り出し、心の中でオカンに話しかけるボク。「オカン。あれから何年かたったけど、今でもボクは淋しいよ。でもね、ボクも、もう少しこっちで頑張るけん。見とってね。オカンはメモ帳に『さようなら』ち書いとったけど、なんでそんなこと言うん。これからもずっと親子やろ、そげなこと言わんでよ」

 ボクはミズエにオカンからの手紙を手渡す。口を押さえて涙を流すミズエ。青い空に向かってボクは言う。「オカン、今日は天気がいいで。よかったねえ」

(上記の企画意図・ストーリーは、ガラスの指輪を制作する、頂いた資料から抜粋させて頂きました。)


★原作 リリー・フランキー著 「2006年本屋大賞」受賞!!

 長らく待たれていた「東京タワー」の映画化が松竹よりついに発表なりました。主役の「ボク」には今最も旬な若手俳優オダギリジョー、「オカン」役に樹木希林、「オトン」役に小林薫。監督は『アカシアの道』『さよなら、クロ』の松岡錠司、脚本にはリリーさんが同時代の表現者として強い共感を寄せている松尾スズキといった豪華な布陣となりました。松岡監督は、吉祥寺で行なわれた「東京タワー」のサイン会にリリーさんに会いに行くなど原作に対して早い段階から興味をもっていました。そんな監督のオダギリジョーさんの起用コメントは「作品を大切にし、1作ごとに「深化」していく彼にぜひこの主人公を演じてもたらいたかった。彼のガラス細工のように壊れやすいナイーブさは、主人公と通じるものがあると思います」。また、演出にあたっては「映画の中の様々な人々との関わり合いのなかで紡がれる、人を想う気持ちや、出会いや別離、そして母への愛などを丁寧に描く“大きな愛の映画”にしたい」との抱負を語りました。8月初旬クランクイン、2ヶ月間の撮影が行なわれ、配給は松竹、公開は2007年4月GWの予定です。(東京タワーニュースより抜粋させていただきました)

 自分が一番近い存在なのに、何故だか素直に感謝や愛情を表すことが出来ない。でも、本当は一番大切にしたい人。それが両親。自立した大人だからこそ、親への感謝を抱くことができる。親への愛を行動で表したいと思う。だが、そのことに気が付くとき、既に愛すべき親はこの世にいない。そんな人が、この国には多いかもしれない。国民的ベストセラーとなった『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』。この小説をここまでのベストセラーへと押し上げた要因は、我々の心に潜む親への愛情と、いずれ訪れる親の死への恐れではないだろうか。原作を手にとった多くの人が流した涙。その感動を映画という小説とは異なる表現手段で、より多くの人へ、より深く届けたい。そんな思いがこの映画化企画の根底にある。(『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』映画化企画意図より抜粋)

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